せやな。まず最初に思い浮かんだ
本名:Bradley Jay “Animal” Lesley
外人枠が2だった当時珍しい投手の外国人。
阪急のリリーフエースとして1年目から活躍したが
ファンが覚えてるのは最後の打者を打ち取った後に
藤田捕手をボコボコにして喜ぶシーンw
https://www.youtube.com/watch?v=DllWX1eSU_o
派手なパフォーマンスをしたりひげモジャにしたりしていたらしい。
速いが案外球が軽い事が露呈すると2年で引退しタレントに転身した。
2013年、54歳で死去。日本でも大きくニュースで取り上げられた。
本名:Francis Agcaoili
1965年と1969年はアグリー、1966年はアギー。
その他の年はアグウイリー。
ハワイ原住民らしい。
NPBに8年いて516安打。
確かに65年は24HRしてるが見るべき数字はそれくらい。
よく8年も契約してもらえたなぁという選手だが
要はユーティリティープレーヤーだったらしい。
この手で一番有名やね
本名:Richard Wieligman
キーオとパリッシュ(ワニ)っていう大黒柱がいたから最初から第三外国人で出番なし。
パリッシュ引退で上がってきたがクビ。
川藤曰く「うぐいす」。
本名:Gordon Ray Windhorn
本名の方がかっこいい(コナミ
「野球博士」スペンサーと共に阪急悲願の初Vに貢献。
6年も日本に在籍した。
本名:Frank Joseph Ortenzio Jr.
戦時中でもないのに名前を漢字にしてしまった凄い例。
「王の上を行け」という意味を込めてだったとのこと。
1年目は24HR打ったが低打率。
2年目はHRも激減し7月に解雇。
本名:Jason Joseph Furmaniak
内野守備は結構巧かったが打てず2軍降格。
シーレックスでも率先してキャプテンをやるなどしてたらしいが
昇格してもやっぱ打てず解雇。
確か四球手当みたいのがあったらしいが、それ以前に打てなかったから・・・
われーらーのほしジェーイジェー
本名:Richard Alan Scheinblum
西部劇「シェーン」がヒットした頃だったのでこの登録名にされたらしいw
本人は「馬を連れてこれないけどいいよん」と快諾してくれたようだ。
強打のスイッチヒッターで、これが後に広島のスイッチヒッター量産化のきっかけとなる。
敬虔なユダヤ教徒で、ユダヤ教信者懺悔の日にはその日の巨人戦を欠場した。
守備が下手だったため2年目オフに解雇。
確かシェーンの息子はドラコンの世界王者になったよな
ゴルフ?
学生時代結構いい投手だったんだけど腕だか怪我して断念してゴルフ初めて
プロゴルファーとしてはそこそこ止まりやったんやけど
ドラコン(ロングドライブ)の大会で世界王者になったんやったはず
本名:James Edward “Jim” Gentile
ジムと苗字ジェンタイルをくっつけてこうなった。
1961年、オリオールズ時代にはベーブルースのHR記録を破った
ロジャー・マリスと激しく打点王を争い、お互い141打点で
分け合った本物のメジャーのスラッガーだった。
ただ、そんなことよりこの選手の日本での有名な(唯一の)エピソードは
日本でも開幕戦でいきなり故障。
出塁したら即代走、たまに守る時も(まだDHは無い時代)一塁だけという有様で
要は出塁したらHR以外でホームを踏むことは無かった。
そして5月18日、阪急のエース足立からホームランを放ったが
なんとホームに還る前に肉離れを起こして走れなくなってしまう。

(後の名打撃コーチ伊勢孝夫である)
この試合、そのまま一塁に入った伊勢が決勝HRを放ったというから面白い。
は変わらなかったために結局、得点>本塁打、は変わらなかった。
当然1年で解雇。
本名:Randy Max Ready
「垂乳根の」「母」みたいに「ジャックと」「スパイク」はセットで覚えるもの。
広岡リモコン下の江尻政権の息の根を止めたダメ外国人コンビ。
本名:Telmanch Gainey
タイはタイカッブのタイ、で、そのままつなげてほしいとかでこういう登録名になった。
1年目は月間MVPとったくらい活躍。
しかし2年目はHRが半減。膝も悪かったらしい。
本名:Joseph Eugene Dotson
ネイティブに発音したら「ドットソン」なのだが
王天上に懲りてない南海はクルマにあやかってこうしてしまった。
47試合の出場にとどまりクビ。
本名:James Douglas Jennings
小柄というかほんと小さい選手だったがパワーはあり
オリックスの優勝に大きく貢献した。
個人的にはナゴヤ球場で打ったHRが印象深い。
本名:Elliot Taylor Wills
父が大選手モーリー・ウィルス。
その父はたびたび阪急で臨時コーチをしてたツテで入団した。
ブーマーと同時入団だったがブーマーが1年2500万だったのに対し
バンプは4年契約の年俸1億と期待度が段違いだった。
ブーマーの本名はウェルズだったのでお互い紛らわしいので
バンプとブーマーになった。
写真は試合前に行われた競走馬対人間のレース前のもの。
人間代表として福本とバンプが出走した。(蓑田は拒否)
さすがに4年契約を1年で切るわけにもいかず
2年目も使われたが打率は更に下落した上にシーズン途中で帰国。
阪急は優勝したがシリーズにも当然呼ばれなかった。
通訳のバルボン曰く、日本で野球やるのがすごく嫌だったらしい。

本名:Gregory DeWayne Wells
この手の登録名を使った選手の中では最強の選手。
長距離打者にありがちなアッパースイングではなく、
ボールを叩き潰すようなスイングでバックスピンをかけて
遠くに飛ばすタイプだったために確実性も高かった。
そしてこのCMで全国的に名前と顔が売れた。
https://www.youtube.com/watch?v=7XEjLH8LDes
オリックスブレーブスになった時はさほど大して気にすることは
なかったようだが上田監督が退任しブルーウェーブになったあたりから
徐々に不信感が増してきたようで、ビジターのオープン戦でわざと
ブレーブスのユニフォームを着て試合に出たこともあった。
(審判も気が付かないまま試合は進行された)
最後は移籍し、ダイエーでプレー。
この頃になるとヤバいくらいお腹が出ていたが
それでも意地の打点王を獲得。しかしシーズン後半は
不振だったこともあり戦力外通告。
個人タイトルをとった選手がクビという珍しい結末となった。

ジョージだな。くだらない理由だったがw
本名:Don Lee Blasingame
1958年メジャーリーグオールスター出場。
翌年の日米野球で信じ難い好プレーをさらりとやってのけ
日本の球界関係者(特に広岡)に大きな影響を与える。
レッズ移籍後、同じポジションにピートローズが入ってきた
ことなどもありその後メジャーで移籍した後、南海に入団。
入りきらないので「ブレイザー」になった。
ここでも身体の正面でとる基本の徹底や、ゲッツー時の
足の運び方など、体が大きくなくともできるあらゆる事を
やってのけ野村以下、日本人選手に多大な影響を与えた。
69年限りで引退すると日本に残り南海コーチに就任。
捕手でプレーするために采配に限度がある野村を補佐し
73年のリーグ優勝に貢献。
しかし例のサチヨ事件で退団。
その後、広島コーチ、阪神監督、南海監督を歴任したが
阪神ではどんでんの起用法で球団と対立しファンからも
カミソリが入った手紙を送り付けられるなどされ、
戻った南海では監督の采配でどうにかなるようなレベルでは
ないくらいに古巣は弱体化しているなど不運続きとなった。

本名:Robert Allen Reynolds
自分から大洋に売り込み、入団。
弾丸のような球を投げると言うことで「ブレット」と登録。
しかし球威はまるでなく開幕44日で弾丸帰国。
名スカウト牛込氏の最大の失敗作と言われた。
本名:William McKinley Venable
まずまずの活躍をしたが同時にいた元メジャーの
メル・ホールにコキ使われていた事で相当に不満がたまっていたらしい。
マックスは陽気で日本人選手からのウケもよかったから
ベンチの空気は恐ろしく悪かったそうな。
ホールはほんとにどうしようもないな…
本名:Frank Edward Mankovitch
62年、珍しい外国人捕手だった大毎テスタの推薦で近鉄が獲得する運びとなる。
マニーはその時まだ軍隊にいたため、除隊が済めば、という条件だった。
しかしよくよく調べてみたらマニーは2Aの選手で、近鉄は
「ええ・・・ちょっと考えるわ」と後退するも
テスタ「アメリカで球を受けた俺が保証する!」と強く推す。
そんなわけで近鉄はマニーの渡航手続きをとったものの
実際には除隊手続きが進んでおらずもう待ってられない近鉄は
別の投手獲得に動いてしまう。
しょうがないので大毎が引き取ることになり、登録名マニーで入団。
7月期限ぎりぎりで入団するが出ては打たれての繰り返しですぐ解雇。
本名:Richard Anthony Lancelotti
1987年セHR王であり、最多三振であり、最低打率打者(.218)。
巨人に強かったこともあり翌年も期待されたが
翌年は更に悪化し、試合中にベンチで試合を見ずに
読書してるのを注意されるなど問題があり、
甲子園で試合中に帰ってしまうなどしたことでついに球団も
我慢の限界となり解雇。
https://www.youtube.com/watch?v=cY5VlbIR2sk
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コメント
落雷で亡くなったGGを忘れないで
弾丸帰国に大草原
T.ローズが入ってないやん!
ブーマー有名やと思うけど
マニーと本名が同じのやつが入団して、本名登録を望んだら現代ならどうすんのかね~
ローズは本名でしょ
屁理屈かもしれんが白ローズの本名はロバート・リチャード・ローズやぞ
スコアボードに出てくる名前がローズだから除外なのか
タフィが本名じゃなかったはず
※4
表現変えたり中点打ってメン・クビッチとかあのワードからとにかく遠ざけるだろうな
バースもほんとはバスらしいな
※9 親会社が阪神バスもやってたから「阪神バス大爆発」とか「阪神バス故障」とか新聞に揶揄されるの避ける為にバースにしたんやっけ
*10
合ってるで
※4
※8
この手の話題でやっぱりマ●コビッチは避けて通れんな
サファテもサーフェイトだったな
本名じゃないとも違うが
※11
はえ~よく考えとるんやな
負け慣れてるからか
向こうの選手は、90%以上がアメリカでも本名じゃなくてニックネームだよ。
そもそも、外国人のニックネームって、ロバート=ボビー、ロブ トーマス=トミー、トム グレゴリー=グレッグ アンディ=アンドリューとかでしょ。だから、本名登録の選手なんてほとんどいない。メジャーと日本で登録名が違うとか、そういう区別をするべきかな。それらを拾っていたら、ほぼ全員そうだからね。
ちなみに、横浜にいたローズは、ロバート・リチャード・ローズで、登録名は「ロバート・ローズ」だが、1999年は「ボビー・ローズ」で登録していた。愛用のグラブもBobyの刺繍がされていた。
上で言われている近鉄のタフィ・ローズは、本名はカールだよ。
タイゲイニーは「タイ」はタイ・カッブではない。綴りも違う。そもそも、タイ・カッブは「タイラス・レイモンド・カッブ」なんで…タイゲイニーがいるなら、横浜のマットホワイトもじゃない? マット・ホワイトだけど、なぜかわざわざ長くつなげた。
マックスがいるのにミューレンがいない。ミューレンは「ミューレンス」が正しい。これは来日中、本人も「スだよ、ス!」と言っていた。彼のサインは「S」まで付いている。巨人にいたサンチェも、サンチェスだよな。
ヤクルトの「デントナ」。これは名前が長いのでギュッと縮めた。本名通りに書くのであれば「ディアントーナ」になる。
オリックスの球団通訳を務めたバルボンも、ロベルト・バルボンだが
愛称が「チコ」なので、一時期は「チコ・バルボン」だった。書籍によっては「R・バルボン」ではなく「C・バルボン」になってる。
大毎のマニーは、そもそも放送禁止用語だから変更を余儀なくされた。むしろ、フランキーとかで良かったと思う。
あとはGG(ジェレミー・ゴンザレス)、JP(ジャック・パウエル)とかいたような気がする。広島も市民球場のスコアボードの問題で、名前緒w短くせざるを得ない措置とか多かったもんな。
コメントで既出だけど、ランディ・バースは、ランディ・バス。それに倣って、アンソニー・バスも、アンソニー・バースになった。なぜ、トニー・バースにならなかったのかは謎。
と言うことで、取りこぼしが多いと思う。